昭和50年07月22日 朝の御理解



 御理解 第67節
 「何事もくぎづけではない。信心をめいめいにしておらねば長う続かぬ。」

 今日はここの所を頂きましたが、前の六十六節の最後の所に、途中ばかり日柄がよいの悪いのと言うて死ぬるときには、日柄も何も言わずに駆けっていぬると言う所を頂きました。これは信心の無い者の姿とでも申しましょうか。確かに途中ばかり日柄の方位のと言いながら、愈々自分が死んで行く時には、どんなにお天気の悪い日であろうが、どんなに悪い日良い日と言うておった、日柄も言わずに駆けっていぬるとこう言ってありますが。本当に信心をさせて頂いておると、この辺の所がです。
 万事万端の上にそれは生まれる事に於いても、または死ぬる事に於いても、万事都合の良い時にお繰り合わせの中に駆っていぬる。死んで行く事が出来ると。言うならば日頃日柄の方位のと、例えば人間的な迷信的な事を言うておったんでは、天地の親神様の御恩徳、御恩恵を身にしみじみ感じさして頂いて、神恩奉謝の生活をさせて頂いておると、おかげが頂かれると言う意味もあると思うのです。
 いわゆる日柄の方位のと言うておるという事は、信心のない者と言う意味です。まぁそれを皮肉なまでに、こういう風に表現しておられるのですす。信心を頂く者は神様の御守護の中に万事万端、御都合お繰合わせの中におかげを頂く。父が亡くなる時もそうでしたが、母が今度お国替えのおかげを頂きましてからも、それを愈々痛切に感じさせて貰うのですけれども。12月16日の御大祭を終えて、そしてその翌朝亡くなった訳なんです。翌朝と言うても朝早くですからね。
 本当に久富先生と繁男さんと、御大際が終わって挨拶にお出られたから、爺っちゃま今日のご大祭は大変なご大祭でした。大変なお参りでしたと言うてから、そしたら大変そそれを喜んでそして久富さんが帰らる時、用心して帰りなさいち言うて挨拶までしてから、それから数時間後に亡くなっております。本当に大祭のそれに何の支障もないお繰り合わせの中に、おかげを頂いておると言う事。
 母の場合も同じ事です。あの様に大きな行事が120名の人達が、ここで寝泊りしながら信心の研修をしておる。その夜に亡くなっております。内々の者だけでその事は他の方に誰にも知らせる事なしに、只信徒会長だけにそのことを伝えさして頂きました。夕べもその事を話たんですけれども、亡くなりましてすぐ信徒会長だけには言っとかにゃいくまい、まだ明日まではその事は伏せておこうと思いましてから、ここに出て参りましたら、誰も居ませんでした。
  それから8班か何班かに分かれて、各部屋部屋で班別懇談があっておりましたから、とにかく役員の方達は各部屋に回って、信心の指導をして周っておるから、どの部屋におるか分らないと思ったんです。それでこちらへ参りまして、ちょっとそこへ行ったらガランとしておる新館の方に、誰かスーッと入って行きますもん。誰が入って行きよるじゃろうかと思うて行ったら、ちゃんと秋永先生が何か忘れ物をしとったからち言うて、部屋に取に来とる所に私が行きました。
 いや私はちょっとあんただけに、話さんならん事があるけんと思うて来たら、と言う様な事でございました。ですから翌る日12時の終わりと同時に、一時の信行を終わらせて頂いて、皆さんにも発表さして頂いた様にもう何の支障もないんです。また私の気持心の上にも何と申しますでしょうかね。親が子供に対する一つの責任とでも申しましょうかね。子供がまた親に対する責任と言った様なものを、果たし得たと言うか、言うならば親が私共に信心を確かに受け渡しました。
 また私もそれを確かに受け止めた。と言った様な何かれとこう思い残すことも、又はこちらが未練を思うと言った様な事もないまでに、これは信心の言葉で言うとです。これで済んだとは思いませんと言うのが、その内容ですけれどももう本当に親も子も、責任を果たし得た者だけが感じれる心安らかさですから、私のその研修会の時の出番なんかにでも、私の心の中に憂いなんかは、私にもなかったから話を聞いて下さった方達にでも、そんなものを微塵も与えなかっただろうと思う位でした。
 と言う様にそういうおかげの中に、そして還霊の式それから昨日は密葬、そして火葬祭そして今日の告別式と言う事の段取りにならせて頂くのに、何の支障もないと言う事でございます。本当に信心を頂いておる者の上には、教祖がここで仰る何も言わずに駆けっていぬるのですけども、本当に万事万端お都合お繰り合せの中に、おかげが頂けれるという事実をね、私は両親の死によって解らして頂いた様な気が致します。そして今日の六十七節、何事も釘付けでないと言う事もです。
 昨夜遅くここに廻って参りましたら、まぁだ電気が明々ついてから、いっぱい色々御用を頂いておられました。おちらの部屋に参りましたら、秋永先生それから正義さん、若先生色々と今日の亊の打合せの御用があっておりました。そして聞かせて頂いたんですけれども、今度の告別式に私は父の時に、お米を五俵お供えさして頂きました。ですからその事を父と同じにおかげを頂きたいと思うて、お願いさして頂きましたら、神様から三俵と言う亊を頂きました。
 初めてははぁ成るほど、男が殿様ならば女は家老だと仰るが。そこん所の差を神様は、これはつけて下さろうかと思う位ございます。それでその事の準備を、神様にもお願いさせて頂いて、昨夜色々話合いがあってる所で聞かせて頂いたんですけれども、今日は皆なで、久富建設の正義さん所に行ってから、祭檀作りで大童であったと言う亊を聞きまして、花もここの御信者さんであります。この頃から大変おかげを受けられた、福岡の花圭と言う熱心にご信心なさる方が、何もかも引き受けて下さる。
 祭壇もお爺ちゃまの時にあゝだったからお婆あちゃまだから、お婆ちゃまらしい御祭壇をしたいと言う、葬儀委員長の意見に、皆が従っての亊だったらしいですけども、昨日その花圭さんの指図のもとに、祭壇が出来てこれだけの亊を、もし葬儀屋が請け負うてたら50万は掛かるだろうと言う。ほぅしてみると是はお爺ちゃんの時よりも、お婆ちゃんの主人に対する家内としての控えめ、控えめの考え方の中に、葬儀が行われるなと思うておったが、成るほど今日のご理解頂いて、くぎづけではないと言う事です。
 そうと決まった。定まる亊がないと言う亊です。言うならば折角信心を銘々にしておらねば長う続かんと。信心は釘付けではないという、そうした信心を母の場合別に取り立ててどうと言う事じゃないけれども、言うならば母の信心の現われが、そう言う亊になって来たんだなという風に思わずにはおれません。そして本当にお花なんかでも、つい四、五日前までは丁度今の倍の値段がしておったそうですね。
 それが急に安くなって花屋さんとしては、腑の良かったと言う意味の亊を言われたと言う事を聞いて、そう言う亊は金銭の上で何でもない亊ですけれども、そう言う亊の中にも言うならば今日私が申します、只花が高かろうが安かろうが、そういう亊は問題なしに駆けって去ぬる。今頃死んだら花が高いけんでんなんてんち言う事じゃなくてね。本当に神乍らの中に信心をさして頂いておる。
 何事も釘付けではない。信心も銘々にと言う在り方の信心の中から、然も永う続かんと言われる。永う続く信心をです。親から子に孫に伝えて行けれる様な信心の基を、身を持って示してくれた母の葬儀の、それに相応しい葬儀が今日は出来るのだろうと思います。愈々今日、一時の信行を終えてそれから今までは、告別式にお取次ぎの間ここだけを使う事しか許されませんでしたけれども。
 昨日ここでその亊をお願いさして貰いよりましたら、内殿の方を使う様に頂くんです。そしたら一時御霊様も神様も、新館の方へお移り頂いて、あちらでお取次させて頂いて、今日の昼の信行はあちらでと言う亊になっておりましたからでもございましょうし、だから内殿の方を使わせて頂く亊になりましたら、ここがこんなに広くなりますから、これは斎員も今までの様に四人ではおかしいから。
 六人の先生方で奉仕して頂こうと言う亊になりました。確かに釘付けではない。しかも有難い方へ広い方へと広がって行くと言う感じですね。そんな訳で今日の朝の御祈念終わったら、早速その御準備が始まる亊でございましょうが、愈々これは私としては、思いもかけない程の有難い告別式になりそうでございます。本当にひとえに神様のおかげは勿論ですけれども、母、生前の信心を感じずにはおられん。
 本当に銘々にしておらねば永う続かんと仰るが、永う続く信心を言うならば残してくれた。昨日も皆さんに聞いて頂きました様に、それこそ本当の信心も出来んのに、この様なおかげを受けてと言う、信心のギリギリの所、自分自身が愈々ギリギリ解って行く事。そこには我屑の子の自覚しか生れて来ない。愈々私の様な本当の信心も出来んのにけれども、金光大神のお取次の働きが。
 本当な亊が出来た様な風にお受け下さり、お取次ぎの働きはその様な働きであると言う亊も、また改めて感じさせて頂きました。本当な亊が出来ていないけれどもです。本当な亊が出来たかの様に神様は受けて下さる。それを金光大神の特別の御働きによるものだという風に思うのです。お互い信心は銘々にしておかなければいけません然もでなかったら永う続かんと仰る。永う続く信心を愈々身に着けて行かなければならんと思うですね。
   どうぞ。